2010年10月1日金曜日

《考察》キャラメルボックスのなかには

成井豊演出、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』を昨晩見てきました。
曰く、喜劇であると。
作品は「喜劇」というより「コメディー」と言った方があっているだろうと思う。
キャラメルの若手達がポップな感じに仕上げていた。
キャラメルの箱を揺すると、がさ。がさ。ごろん。
箱は軽いけれどちゃんと何かある。
わくわくして箱を開けると、
期待通りの甘い夢。
みたいな。
そうゆうのが劇団のコンセプトなんだったらきっと成功なんだろうなー。
キャラメルの登場人物は、みんな綺麗で裏がない。
現実に生きてる人々はこんなにも
醜くって、
泥臭くって、
グロテスクなのに。
キャラメルボックスは、どちらかというと、アミューズメント。
ディズニーランド、夢の国。お伽噺。
そんな印象を受けました。
期待通り。
そんな感じ。

《たわむれ言です》お芝居のこと

新劇。ぼくはわりと結構かなり好きなんですよね。
日本では「古典」って言われてますけど、
諸外国へいくと全然まだまだ現代劇なんですよね。
東京では、隔週でヘンリック・イプセンの戯曲を海外の劇団さんがやるっていう企画も、今まさにやってるみたいですよ。
実際日本でも、チェーホフとかめちゃやってるしね。古典としてですけど。
まぁ著作権料の問題とか、大人の世界ではあるかもですけどね。
「オイディプス王」なんて、小説の世界でも取り上げられるんですよ。構造論とか心理的なことで。
劇構造からして、全然古くないんですよね。うん。
ただ時代背景とか、文化的なことで現代とギャップは少なからずあるけれど。

何かを知る上で、昔のことは絶対に勉強すべきだと思います。
新感線とかだって、元はつかこうへいさんのコピー劇団だったわけで、つかさんは他の誰かに影響を受けてるはずで。
これも師匠的なものなんですかね。
最初宗教的な儀式から始まった演劇(便宜上こう言います)が、
リスペクトされてコピーされて、
それが続いて続いて結局2000年以上とかになるんだからさ。
絶対に必要なことだと思うのよ。
古きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべきですよ。
ぼくが果たしてどこまでできてるのかなんてわかりませんよ。
まだまだまだ演劇始めて7年目ですからね。
しかもただの高校演劇上がりですから。
まだまだまだまだ勉強中ですよ。役者も照明も。

演劇はただの自己表現の場じゃない。
コンプレックス克服の場じゃない。
ただ楽しいからって理由でやってほしくない。
でもこれはぼくの理想です。
実際コンプレックスの塊で、演劇の楽しさに味をしめてただ辞められなくって、意固地になって後に引けなくって、
そんな一人の表現者でござい。

人に非ず、人を憂う。
それでも羽を広げて人より優れた時、「俳優」になるのです。
(非ってゆう字は羽を左右に広げた様が由来になってるそうですよ。)
前半は菊川さんのお言葉です。
ぼくを芝居漬けにするキッカケを与えてくださった方です。
まぁ役者になりたいのではないんですが。
役者もやる者としての戯れ言ですゎん。あは。
そんな感じー。
あー、暑苦しい。笑